ゲーミフィケーションについて徒然に書いてみた。その1

オライリーゲーミフィケーションの本を自分なりにまとめてみた。

ユーザーのタイプ
・探検家
未知な事に対して試してみたくなるというタイプ。
例:
スーパーマリオをプレイする際に土管の上で下キーを押したり、ブロックを破壊。
ドラクエでとりあえず町のタルを破壊する。

・チャレンジャー(かなりの意訳をしています)
目標やクエストに対して成し遂げようとするタイプ。
例:
モンハン(私大好き)
アメーバpigg

・社交人
人と出会ったり、繋がりを持つことに重きを置くタイプ。
例:
mixifacebookTwitter(ゲームではないがゲーミフィケーションではある)

・キラー
最後の一人になるまで勝とうとするタイプ。
勝つということが最大の喜びであるというタイプ。
例:
オンライン対戦ゲーム

ユーザーの経験値
レベル1:入門者

始めたばかりで右も左もわからないレベル。
とにかく、ルールを覚えたいことと助けられたい気持ちでいっぱい。

レベル2:初級者
入門者に比べて基礎的な作業ができる(一連のサイクルを回せるようになった)レベル。
多くのソーシャルゲームはこの段階までをレクチャーしてくれる。
小さな問題に対して答えを出すことができる。

レベル3:エキスパート
システムを理解し、難しい問題に挑戦することができるレベル。
世間の言うアクティブユーザー的な立場。

レベル4:マスター
マスターはシステムの真の理解者で、その世界内のルールやセオリーを変えれるレベルのこと。
ニコニコ動画でプレイ動画を挙げるのはこのあたり。

レベル5:神様
マスターを更に特殊にしたタイプで、自身がデザインを手がけるようになってしまったレベルのこと。
ゲームを改造するタイプの人間がこの手の人間かと思われる。

これらのレベルを定義した上で、アクティブユーザーと言われるレベル3,4(ないしはそれ以上)に位置づくユーザーを以下に増やすか?以下にレベルを上げられるようにするか?が問題であると言える。
ここで言述したプレーヤー特性を考慮したナビゲートが有効となってくる。
著書の中では「Sherpa(登山家を助ける現地民族)」と例えている存在がまさにそれに匹敵する。

MDAフレームワーク
著書では下記3項目をMDAフレームワークとして紹介している。
・Mechanics
・Dynamics
・Aesthetics

考察
ユーザーのタイプについて
気をつけなければならないこととして、ゲーミフィケーションとゲーム(もしくはそれ以外)の仕様を区別することだと思う。
ドラクエのタルを破壊できるのは「本来破壊しないでも良いのに、つい…」というゲーミフィケーション的要素であるが、全ての壁にぶつかるというのはただのテスターの仕事である。
また、ソーシャルタイプの例としてSNSを挙げたが、SNSに限っては人とつながりを持つことが「目的」であり(異論はあるかもしれないが、極めてコアとなる部分であると感じている)、オプションではないことからゲーミフィケーションと言うべきかは悩ましい。
所謂、不確定要素(タルの中身、新たな出会い、達成不確実性)を盛り込み美化したものをゲーミフィケーションなのだと感じた。
この美化の仕方こそが重要なのだろう。

Sherpaについて
多くのSNS系や携帯ゲームではLv5くらいまで成長できる手厚いチュートリアルが存在しているのはこの考えに違いない。
また、友人と連携するソーシャルタイプのものもユーザー同士が助け合うという形式に置換しただけにすぎない。
この手の手法で脱帽するのはアメーバpiggで、毎日デイリークエストというものを配信している。その多くが「人の庭の野菜の世話をする」や「○○の手伝いをする」というステークホルダーが二名以上のものだということだ。
私が観測し始めてから2週間ほどであるが、この手の内容は7〜8割に匹敵する。

その他、感じたこと
個人的にはゲーム脳が出てこなかったことが残念である。
ここで言うゲーム脳とは、「本来、明らかに厳しいと見積もれるはずなのに、ノーリスクゆえにその感覚を麻痺させること。」と私なりに定義している。
1時間頑張って1割の確率と言われて、つまりは10時間必要と計算できるにも関わらずチャレンジしている状況がこれに当たる。例としては、○○ガチャ等がこの代表なのではなかろうか?
この感覚を麻痺させるべくメカニズムは著書のタイプには当てはまらない。